パラ陸上 中川もえ選手

ごきげんさまです。感護師つぼ(Twitter)(Threads)です。

看護師の可能性を拓くのに、すでに新しい道を切り拓いている方々の活動を知ることが第一歩だと思っています。

パリパラリンピックが閉幕しましたね、東京パラリンピックでは、看護師フェンサー阿部千里選手松本美恵子選手が出場されていたので、取り上げていたのですが、今回は、看護師出場者がいなくて取り上げておりませんでした。

看護師パラアスリートの影響で、看護師を目指している現役看護学生パラアスリートがいます。
今回のパラリンピック出場はかないませんでしたが、きっと次のパラリンピックでは出場してくれるだろうと期待して、中川もえ選手を取り上げます!

写真は、宮崎大学公式サイトより
視線の先は2024年パリパラリンピック ~ 勇気を与える看護師パラアスリートを目指して ~|宮崎大学 (miyazaki-u.ac.jp)

中川 もえ(なかがわ もえ)

【所 属】宮崎大学医学部看護学科

【出 身】宮崎県立宮崎大宮高等学校、西池ジュニア
【専 門】陸上
【資 格】
【実 績】
[2019年8月]
Nottwil 2019 World Para Athletics Junior Championships(スイス) 100m T47 5位 200m T47 5位
[2021年4月]
2021ジャパンパラ陸上競技大会 100m T47 3位 200m T47 2位
[2021年12月]
アジアユースパラ競技大会・競技陸上200m(上肢障害T47) 100m T47 1位 200m T47 1位

キャリア:中川 もえ 夢を追う勇気: パラアスリートの看護学生の挑戦

彼女は宮崎大学医学部看護学科に通う学生であり、同時にパラアスリートとしても活躍する注目の若者です。
中川さんの物語は、障がいを乗り越え、二つの夢を同時に追いかける勇気と決意に満ちています。

看護師を目指すきっかけ

中川さんが看護師を志すきっかけとなったのは、中学生の時の運命的な出会いでした。右腕に障がいを持ちながらも看護師として活躍するパラアスリートとの対話が、彼女の人生の方向性を大きく変えたのです。「右腕に障がいがあっても看護師の仕事ができるんだ」という驚きは、中川さんの中で大きな可能性の扉を開きました。 自身も様々な場面で看護師のケアを受けた経験から、「誰かを支える仕事」への漠然とした憧れを抱いていた中川さん。この出会いを通じて、看護師という具体的な目標が生まれ、宮崎大学医学部看護学科への進学を果たしました。

充実した大学生活とアスリートとしての挑戦

大学入学から、中川さんの日々は学業とスポーツの両立に彩られています。朝6時に起床し、講義後は週4回、宮崎市生目の杜陸上競技場でトレーニングに励みます。まだ運転免許を持たない彼女を支えるのは、送迎を担当するお母さんの存在。家族のサポートへの感謝の気持ちが、中川さんの原動力となっています。 挫折を乗り越える強さ 競技生活は順風満帆ではありません。足の故障や思うような結果が出ない時期もありました。しかし、そんな時こそ中川さんの真価が発揮されます。過去の練習日誌を読み返したり、パラリンピックを目指すきっかけとなった新聞記事を見直したりすることで、初心を思い出し、前を向く勇気を見出しています。 仲間との絆 西池アスリートクラブでの練習は、中川さんにとって単なるトレーニングの場ではありません。「友達に会いに行くような感覚」で楽しめる環境が、彼女の成長を支えています。技術面でも精神面でも支えてくれるコーチと仲間への感謝の気持ちが、中川さんの言葉からあふれ出ています。

看護師を目指す思い

「昔から陸上のけがなどで病院に行くことが多かったので、医療系の仕事にあこがれていて、(自分も)人のためになれたらいいなと思って看護師を目指しました」という中川さんの言葉には、自身の経験を通じて培われた強い使命感が感じられます。 結び パラアスリートとして、そして看護学生として、二つの夢を追い続ける中川もえさんの姿は、多くの人々に勇気と希望を与えてくれます。障がいを持つことが夢の実現の妨げにならないこと、そして挫折を乗り越える強さを持つことの大切さを、彼女の物語は教えてくれています。 看護師を目指す皆さんへ どのような背景を持っていても、強い意志と周囲のサポートがあれば、夢は必ず叶います。中川さんの物語が、看護師を目指す皆さんの励みとなり、自身の可能性を信じる力になることを願っています。

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