ごきげんさまです。感護師つぼ(@cango_shi)です。
看護師の可能性を拓くのに、すでに新しい道を切り拓いている方々の活動を知ることが第一歩だと思っています。
フローレンス・ナイチンゲールは90歳まで現役で亡くなられました。97歳でまだ現役で看護師をして、フローレンス・ナイチンゲールを越えている池田きぬさんを取り上げます!
97歳まで現役で活躍されてきたので、あらゆる看護の現場でいろいろな実績を残されています、病院の管理職だけじゃなく、各介護サービスの立ち上げ、企業での健康管理室の業務など、一体何人分の経験だ!って言いたくなる方です。
ちなみに、池田きぬさんのひ孫さんも、看護師になられたということで、今後の池田きぬさんだけじゃなく、池田きぬさんの血を受けついだ方々の看護界での活躍がますます楽しみです!
池田 きぬ (いけだ きぬ)
【所属・肩書】サービス付き高齢者向け住宅「いちしの里」看護師
【出 身】日赤看護学校
【経 験】中部電力保健師、三重県看護協会役員、三重県庁
【臨 床】海軍病院療養所、精神科病院
【資 格】看護師、ケアマネージャー
【実 績】山上(さんじょう)の光(ひかり)賞受賞
ユニークキャリア
池田きぬさんは、今日まで長く、そして懸命に働き続けてきた一人の看護師です。97歳の今も、彼女は現役のナースとして、三重県のサービス付き高齢者向け住宅「いちしの里」で働いています。
彼女の長い経歴には、看護師としてだけでなく、保健師としての役割、そして75歳のときには三重県最高年齢でケアマネジャー試験に合格するなど、常にチャレンジし続ける姿勢が見えます。
「こんな年まで仕事続けるとは思わなかったけれど」「3日家にいると外に働きに出たくなってしまう」と彼女は語ります。彼女の言葉からは、生活そのものが仕事であり、それが自分自身を鼓舞し続ける源となっていることが伺えます。
池田さんの生涯を見れば、その人生は多くの人々にとって大きな希望となります。「高齢になっても働く」ことを前向きにとらえる。これは彼女が発信するメッセージであり、彼女自身が生きた証でもあります。
彼女は1924年(大正13年)1月9日、三重県一志郡大井村(現在の津市一志町)で5人姉妹の末っ子として生まれました。父親を早くに亡くし、母親の女手1つで育てられました。地元の女学校を卒業後、日本赤十字の看護学校へ進み、19歳のとき、横須賀の海軍が管轄する海軍病院が療養所として接収した湯河原の旅館に、看護要員として召集されました。
75歳のとき、池田さんは三重県最高年齢でケアマネジャー試験に合格しました。それは彼女の二度目の挑戦でした。「1回目落ちたとき、これはいかんと。仕事辞めて半年間、勉強しようと思ったけれど、『仕事辞めて勉強するなら合格して当たり前』といわれるのが悔しいから、昼間看護の仕事をして、夜寝ずに勉強しました」と彼女は語っています。
彼女は「資格はいくつ持っていても邪魔にはなりません。だから若い看護師さんにはケアマネの資格を、介護の方には介護福祉士の資格を取るように勧めています」とアドバイスしています。
88歳で彼女は現在のサービス付き高齢者向け住宅「いちしの里」に看護師として勤務しました。「仕事を辞めようとすると、次の声がかかります」と彼女は言います。彼女が数々の職場を経験したことから、若い看護師が働きやすい職場環境作りへの思いは強い。
さらに、2018年6月には、75歳以上の医療関係者に贈られる第4回「山上の光賞」を長寿科学振興財団の祖父江逸郎理事長とともに受賞しました。看護師として長く働ける職業であることを証明した池田さんの功績は計り知れません。
池田きぬさんの生涯現役の姿勢とその活動は、私たち全てにとって大きな希望と教訓を与えてくれます。彼女の人生と経験は、過去だけでなく、これからの未来を形作るための参考にもなるでしょう。