ごきげんさまです。感護師つぼ(@cango_shi)です。
看護師の可能性を拓くのに、すでに新しい道を切り拓いている方々の活動を知ることが第一歩だと思っています。
今月は、小説家ナースの新著がたくさんでる月ですね♪ 看護月間だからかな?
去年、note創作大賞2023 別冊文藝春秋賞を受賞して販売された「ナースの卯月に視えるもの」
そして、5月21日には、おたんこナースやナースマンの原作者、小林光恵さんの新著「ナイチンゲール7世」が発売されます。
この作品で思い出すのは、日本にナイチンゲール看護を持ち込んでくれたアグネス・ヴェッチさん。今年のナイチンゲール誕生日は、ナイチンゲールの教え子でもあるアグネス・ヴェッチさんを取り上げます。
写真は日本看護歴史学会から拝借
アグネス・ヴェッチ(1845年 – 1945年)
【所属・肩書】
【出 身】ナイチンゲール看護学校(エディンバラ王立救貧病院看護学校)一期生
【資 格】看護師
【教 育】桜井女学校(現:女子学院)、東京帝国大学(現:東京大学)
【臨 床】東京帝国大学医科大学第一病院、セント・メアリー病院
キャリア
アグネス・ヴェッチは、ナイチンゲールの教え子で、日本の看護師一号たちを育成した人です。
19世紀後半に看護教育と国際交流において顕著な足跡を残した人物です。彼女の生涯は、スコットランドのエディンバラから遠く離れた日本まで及び、看護の専門教育を国境を越えて広めるという彼女の使命を体現しています。
初期の経歴と看護への道
アグネスはスコットランドのエディンバラで生まれ、1874年にナイチンゲール看護学校(エディンバラ王立救貧病院看護学校)の一期生として看護を学びました。看護学校での教育を経て、1876年にはロンドンのセント・メアリー病院で看護婦としてのキャリアをスタートさせました。しかしながら、家庭の事情により1879年には故郷へと戻り、その後さらに生活の場を清朝に移しました。
日本での活躍
1887年、アグネス・ヴェッチの人生に新たな章が開かれます。日本政府の招聘を受けて来日し、当時の日本で看護教育の土台を築く重要な役割を担いました。彼女は、桜井女学校(現:女子学院)や東京帝国大学医科大学第一病院(現:東大)で看護婦として働くとともに、看護教育にも力を注ぎました。アグネスは西洋の先進的な看病術を日本に伝え、訓練と指導を通じて日本の看護を大きく変えることに寄与しました。
日本の看護教育に与えた影響
アグネス・ヴェッチの教育と指導は、多くの日本の看護師に影響を与え、その中でも特筆すべきは「日本のナイチンゲール」と称される大関和です。大関はアグネスの最初の教え子の一人であり、彼女の指導のもとで看護の技術と倫理を学びました。
明治のナイチンゲール 大関和 家老の娘が、「命を売って金もうけする卑しい人間」と言われる看護師の価値を唱えた (cango.blog)
帰国とその後の遺産
1888年11月、任期満了に伴いアグネスはスコットランドへ帰国しましたが、彼女が日本で行った仕事は、その後の日本の医療と看護に長く影響を及ぼし続けています。アグネス・ヴェッチの教育理念と実践は、国際的な看護教育のモデルとして、今日に至るまで多くの看護教育機関に影響を与えています。
アグネス・ヴェッチの物語は、看護師としてだけでなく、一人の教育者として、異文化間の架け橋としての役割を果たした例として、看護の歴史において重要な位置を占めています。