ごきげんさまです。感護師つぼ(@cango_shi)です。
看護師の可能性を拓くのに、すでに新しい道を切り拓いている方々の活動を知ることが第一歩だと思っています。
江崎グリコ創業者の江崎利一さんは、1904年に日露戦争に「看護兵」として徴兵されました。
※現在の看護師の国家資格は、1948年に制定された保健師助産師看護師法が根拠です。
看護兵として従事されていたから、今までご紹介させて頂いたミステリーの女王アガサ・クリスティーさんのように取り上げてもいいかな?と思っています。
江崎 利一(えざき りいち)1882-1980
【所属・肩書】江崎グリコ創業者
【出 身】佐賀県
【臨 床】日露戦争
【実 績】勲五位景雲章(1942年 満州国)
江崎利一の看護師的側面
経営の神様と呼ばれる松下幸之助が、商売に関して師事したとまで言われる江崎利一さん。江崎利一さんの実業家としてのお話は漫画になるぐらいまで、有名です。
なので、このブログでは、江崎利一さんの看護師的側面を紹介したと思います。
グリコの創業者、江崎利一の素晴らしいキャリアは、そもそも家業が薬を取り扱っていたことから始まります。人々の健康の相談というものをしている家庭でした。そのようなバックグラウンドがあるからこそ、生み出されてきたものであり、看護師的要素をもって、業績を残されてきたことと記憶することが重要です。
7人兄弟の長男だった江崎利一さんは、お父様の急逝で、19歳で家督を継ぎます。借金が多かった家業と弟妹を養うために家業を立て直していきました。その視点は、顧客第一主義。そのかいがあって、借金は徴兵前に完済します。1904年に日露戦争に徴兵された際は、そのようなバックグラウンドから看護兵として徴収されました。
彼が看護師だと私が信じる特に印象的なエピソードとして、江崎利一の息子である清一が10歳の時にチフスに罹患し、命の危機に瀕した時の話があります。江崎は元々薬問屋を経営していたため、栄養剤に詳しかった彼は、命を救うための解決策を見つけることに全力を尽くしました。
その答えがちょうどその時に事業化を考えていた「グリコーゲン」でした。彼は、戸ヶ里漁港で水揚げされた牡蠣の捨てられていた煮汁に含まれているこの物質に目を付けました。息子の生命を救うために試しにグリコーゲンを摂取させたところ、その効果が現れ、清一の命が救われました。
この経験は、江崎に「子供たちに栄養を提供できる方法はないか?」と考えるきっかけを与え、その結果、栄養菓子「グリコ」の開発へと繋がりました。
開発した後も、人々の間に浸透するまでの間に、倒産の危機を迎えます。しかし、その持前の人々への想いで、その苦境を乗り越えていきます。
この顧客第一主義で、苦境を乗り越えていくその情熱と知識は、看護師といっても過言ではないと確信します。そして、その想いが、今日のグリコというビジネスへと昇華されました。
江崎利一の物語は、医療とビジネスの領域をつなげることで、生命を救い、世界を改善する可能性を示しています