ごきげんさまです。感護師つぼ(@cango_shi)です。
看護師の可能性を拓くのに、すでに新しい道を切り拓いている方々の活動を知ることが第一歩だと思っています。
先日、読者からブログの感想メッセージを頂きました。看護が嫌いになりそうだった時に、このブログで、好きになって、就職先を考え直してくれたということです。
正直、目元がうるうるきました。ほぼボランティアのブログ活動が、認められた感じがして嬉しくなりました。そして、そのエピソードをきいて、もっと看護がしたくなる!看護を好きになる!挑戦してみたくなる!という方を取り上げていくことを決意して、今回、「CHEMISTRY」の堂珍嘉邦さんと結婚したことで有名なモデルの敦子さんを取り上げます。敦子さんは、5人のシングルマザーになった後に、看護に魅力を感じて、看護師を目指された方です!
写真は公式ブログより拝借。看護学校卒業時の写真。
敦子(あつこ)
【所属・肩書】モデル・敦子
【経 験】『JJ』の専属モデル、ファッション雑誌「VERY]表紙モデル
NGO団体ジョイセフにて妊産婦支援
【資 格】看護師、チャイルドカウンセラー(内閣府認証)、日本食育アドバイザー(NPO)、チャイルドケア・コーディネーター、誕生学アドバイザー
ユニークキャリア
看護師を目指す!?
モデル業やベビーマッサージの講師として活動しながら、国際協力NGOのジョイセフで妊産婦支援の活動に参加していた「敦子さん」。そんな彼女が看護師というキャリアを選んだきっかけは何だったのか?その答えは、遠いアフリカの国、タンザニアにありました。
ジョイセフの活動の一環でタンザニアを訪れた敦子さんは、自分の資格や能力の限界を痛感しました。「もっと踏み込んだ支援をしたい」という思いと、資格がないために手が出せない現状に、歯がゆさを感じたのです。
そして敦子さんがその歯がゆさから抜け出すために選んだのが、助産師という道でした。「子どもがすごく好きで、赤ちゃんも大好き」。その思いと、具体的な支援ができるという希望が結びつき、彼女は看護学校への道を決断したのです。
長男が中学校に入学し、末っ子が保育園に入園するタイミングで、敦子さんは看護学校に入学。家族全員が新たなスタートを切るこのタイミングで、敦子さん自身も一緒にスタートを切ることにしました。
30代後半で看護学校に入学を決意した敦子さんにとって、本格的な勉強は久しぶりだったはずです。しかし、彼女は「私にもできるかも」と前向きに捉えました。それには、周りの人々の影響が大きかったと言います。
友人の中には、ママになった後で看護学生になった人が2人。さらに、敦子さんの弟も看護学生で、今は看護師として働いています。「一度社会に出たりママになったあとでも、もう一度挑戦できるなら、私もできるかな」と、彼らの存在が敦子さんに勇気を与えたのです。
そして、看護学生になる決意が固まった敦子さんは、受験勉強に挑みました。数Ⅰや数Aから勉強を始めた彼女の挑戦は、これからの新たなキャリアへの第一歩となったのです。
敦子さんは看護学生としての日々を始め、多くの挑戦と困難を乗り越えてきました。しかし、その道のりは決して一人で歩んだものではありません。友人や弟からの影響、そして自身の経験から得た価値観や志向性が、彼女の背中を押し続けてきたのです。
「周りに同じ志の人がいたので、それに後押しされた感じで」と敦子さんは振り返ります。友人や弟から聞いた「こういうときはこうしてたよ」という生の声は、彼女にとって看護学生としての生活を想像する助けとなりました。それはまるで、未来へのシミュレーションを行っているかのようでした。
そして、そんな親しい人々の声によって形成された彼女のビジョンは、自身が直面した困難を乗り越える力となりました。「頭の中で看護学生になったときの生活をシュミレーションできていました」と振り返る彼女の言葉からは、その確固たる決意が感じられます。
敦子さんの話を通して、看護師という職業が、ただ医療現場で働くためのものでなく、人々の生活や社会に深く関わり、それを支える存在であることを改めて認識します。そして、その職業に向き合う人々が、自身の生活や経験、志向性を糧に、日々自己を成長させ、社会に貢献している様子を見て、私たちは勇気づけられます。
看護師というキャリアは、他者への深い理解と共感、そして人々の生活を支えるための知識と技術を必要とします。そして敦子さんのように、その道を選んだ人々は、自己の成長と社会への貢献を両立させながら、その重要な役割を果たし続けています。
最後に、敦子さんの言葉で締めくくりたいと思います。「私にもできるかも」。これは、自分の可能性を信じ、新たな挑戦を恐れずに進む勇気を示しています。私たちはこの言葉を胸に、自分自身のキャリアを形成し、社会に貢献していくことを忘れてはならないでしょう。
敦子さんが2022年4月に看護学校を卒業し、新たなキャリアの門を開かれました。彼女のこれまでの経歴と経験から、これからの活動が期待を裏切らないことは間違いありません。看護師としての新たな道を歩み始めた彼女の未来は、きっと明るく、そして人々の生活をより良いものに変える力を持っているでしょう。
これからの敦子さんの活躍を待ち望むとともに、彼女の物語が私たち自身のキャリア選択における一助となり、さらに多くの人々が自身の可能性を信じ、自分らしいキャリアを築く勇気を持つことができることを願っています。敦子さん、新たな旅路においても輝かしい活躍を期待しています。