ごきげんさまです。感護師つぼ(@cango_shi)です。
看護師の可能性を拓くのに、すでに新しい道を切り拓いている方々の活動を知ることが第一歩だと思っています。
今月も訪問看護のソフィアメディ(厳密にいえば、親会社CUC)が上場しますし、上場が看護界で身近になってきたなぁと感じる今日この頃です。上場ビジネスをする看護師はいるけれど、上場準備の仕事をしたことがある看護師って、平山佑三子さんぐらいだろうなぁと思いだしたので、取り上げます!
写真は臨床+αより拝借
平山 佑三子(ひらやま ゆみこ)
【所属・肩書】アタライフ株式会社 代表取締役
【出 身】鹿児島純心女子大学
【経 験】株式会社ナノエッグ(聖マリアンナ医科大学発ベンチャー)、MVP株式会社取締役、株式会社新日本科学臨床薬理研究所
【資 格】看護師、保健師
【専 門】治験
ユニークキャリア
看護師、治験コーディネーター、経営者と、多様な経歴を持つ平山佑三子さん。
平山さんは、看護師としての5年間の病院勤務を経て、2004年4月に株式会社新日本科学臨床薬理研究所へ転職しました。治験コーディネーターとして、臨床開発の現場で様々な経験と知識を積み上げていきました。
2006年4月には、聖マリアンナ医科大学の技術移転機関(TLO)であるMPO株式会社に入社。ここでは経営企画部に所属し、大学の知的財産管理や医療関連のコンサルティング業務を担当しました。年間50件以上の知的財産に関する相談を受け、特許出願や事業化支援を積極的に推進しました。
さらに2007年4月には、聖マリアンナ医科大学発ベンチャーの株式会社ナノエッグ設立時から参画しました。営業、総務、財務・人事等全ての業務に関わりつつ、助成金獲得や新規企業との取引契約締結に寄与。また、上場準備に関する事業計画書の作成や知的財産戦略の策定も行いました。
その後、2007年6月にMPO株式会社の子会社であるMVP株式会社の取締役に就任。医療ネットワーク支援や臨床試験、臨床研究支援を担当し、4つのNPO法人の設立支援や事務局、企画支援に従事しました。
そして2009年2月、自らアタライフ株式会社を設立し、代表取締役に就任しました。
平山佑三子氏のこれまでの経歴は、医療業界における深い知識と、経営に対する洞察力を示しています。その経験とスキルは、彼女が今後推進する事業や活動において、大きな影響力を持つことでしょう。
ユニークなキャリアを選んだワケ
平山佑三子氏は、自身の人生を通じて一貫したテーマを追い求めてきました:医療業界で何か新しい事業を始めること。その想いは二つのキーモーメントで強くなりました。
最初のキーモーメントは、看護師としての4年目で、血液内科に勤務していた時です。移植治療を目的とした入院患者の多くが大量の抗癌剤治療を受けていましたが、彼らが最も苦しそうに見えたのは、食事が取れなくなった時でした。それぞれの患者からの食事に関する要望は多く、食が闘病生活の中で重要な楽しみの一つであることを実感しました。この経験から、彼女は高品質な食事を提供することで患者に力を与える可能性があると感じ、このアイデアをビジネスとして実現することを考えました。
しかし、この考えは当時は漠然としたものに留まり、平山氏は臨床の世界から離れてビジネスの世界へと進みました。その後の転機となったのは、技術移転(TLO)を行うベンチャー企業への転職です。ここでは、医師や研究者からの知見を事業化するサポートや、新規の医療サービスの開始、新規医療施設設立に向けたコンサルティングなど、広範な業務を手掛けることになりました。
最初のうちはビジネスの基礎がなく、学びながら業務を進めていきましたが、自身の臨床経験が医師や研究者の話や意図を理解する上で大いに役立つことに気付きました。彼らからの相談を通じて、自身のビジョンが明確になってきました。「医療従事者の中には、臨床で多くの患者を診療し、知恵を絞っている人がたくさんいる。しかし、時間やノウハウが不足しているために、患者のニーズに十分に応えられていない。そこで私がそのニーズに応える手助けができるのではないないか?」という思考が明確になりました。
その想いは、糖尿病を専門とする医師からの相談で非営利組織(NPO)の設立を支援したことから具体的な形を取り始めました。その後も、様々な医師からの相談を受け、現状では満たされていない医療ニーズに応える新たなサービス展開についての支援を行うようになりました。
医療サービスの相談だけでなく、医師たちが行っている研究の特許に関するコンサルティングやバイオベンチャーの運営支援など、多岐にわたる業務を手掛ける中で、平山氏は貴重な経験を積んでいきました。その中で、創業者が自らの信念に基づいて組織を引っ張っていく強い姿勢を目の当たりにし、自身の夢を実現したいという想いが一層強まったのです。
そして最終的に、平山氏はアタライフ株式会社を設立し、その代表取締役に就任しました。看護師時代から抱いていた「より良い食事を提供する」というビジョンと、医療従事者とともに医療業界を改善するという目標を二本柱に、新たな事業を開始しました。
そのユニークなキャリアパスは、平山氏が常に医療従事者や患者のニーズを重視し、そのニーズに対応する新しい解決策を模索し続けるという一貫した思いから生まれました。その強い信念と実行力は、彼女が新たな事業を創出し続ける大きな原動力となっています。
ユニークなキャリアを選んだきっかけ
看護師として5年間の経験を経た後将来的に自身の起業を目指し、ビジネススクールへの進学を考えていました。
そんな時、担当先の病院で技術移転を事業とするベンチャー企業の社長と出会いました。その社長との交流の中で平山は自身の起業志向を打ち明け、その結果、社長から自身の会社への転職を勧められました。
ビジネスの経験が全くなかった平山は、自身に自信が持てずに迷っていました。しかし、社長は「自分のところで2年頑張れば後悔はさせない」と励まし、その言葉を信じて彼の会社に転職を決意しました。
そこでの3年間は、貴重な経験の連続でした。平山を含むたった3人の小さな会社だったものの、外資系コンサルティングファーム出身の優秀な上司2人の下で、負けず嫌いの彼女は自分の能力の不足を言い訳にせず、全力で取り組んだのです。
特に、マンパワー不足のバイオベンチャー企業の上場準備に関する業務を通じて、経理、人事、総務などの幅広い業務を経験し、起業から経営一般に関する知識を蓄積しました。これらの経験は、現在彼女が会社経営を行う上での大切な財産となっています。
そして、そんな彼女は、同じ志を持つ友人と共に、2009年にアタライフ株式会社を設立しました。
看護師から治験コーディネーター、そしてビジネスマンへという彼女のユニークなキャリアは、自身の情熱と持ち前の負けず嫌いな性格、そして出会った人々との信頼関係から生まれました。
看護師としての経験は、患者の視点を理解するための基盤を作り、治験コーディネーターとしての経験は、医療の最先端を学ぶ機会を提供しました。そして、ビジネスマンとしての経験は、彼女が看護師として抱いていた「患者のために何ができるか?」という問いに、新たな形で答えを出すための道筋を示してくれました。
アタライフ株式会社の設立は、これまでの彼女の経験が結実した形と言えます。医療従事者の視点を持ちつつ、ビジネスの視点からも患者のためのサービスを考えることができる平山綾香の存在は、新たな可能性を提示するものと言えるでしょう。
このようなユニークなキャリアは、自身の情熱と信念を追求することの大切さを示しています。一般的なパスを歩むことも重要ですが、自身が真にやりたいと思うことを見つけ、その道を切り開く勇気を持つことが、自身のキャリアを豊かにする一方で、周囲の人々や社会全体にも新たな価値を提供する原動力となるのです。
結果として、彼女のキャリアは自身の情熱と出会った人々との信頼関係によって形成されました。それは彼女が自身のキャリアを自身の手で切り開いた証でもあります。その背景には、過去の経験とその時々で得た知識・スキル、そしてその全てをつなぐ強い意志が存在していました。